先日「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読みました。
というのも、ちょっと前にブログスランプ期間があって、文章をどう書くべきだろうと悩んでいたんです。
そこで、ブログ界でも有名な「マナブ」さんという方がおすすめしていた文章術の本が気になっていたので読破しました。
結果、本質的な文章の書き方を学べたし、物書きとしての心構えを再確認できました。
以下では、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の内容を要約しつつ、感想とともに学べることをまとめていきます。
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「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の基本情報
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の基本情報について見ていきます。
書名:20歳の自分に受けさせたい文章講義
著者:古賀史健
出版日:2012/01/26
出版社:星海社
続いて著者の「古賀史健」さんのプロフィールが以下の通り。
1973年、福岡県生まれ。 1998年、出版社勤務を経てライター(編集者)として独立。その後は、一般書やビジネス誌のライター。さらに、書籍のライティング・編集を行っている。著書・共著にベストセラーとなった「嫌われる勇気」などがある。
あの「嫌われる勇気」の共著者ということで、知っている方もいるかもしれませんね。
とにかく「文章」が軸の経歴。内容も信頼できます。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の要約まとめ
次に「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の要約・まとめとして読書メモ+意見を記します。
- 文章の本質に気づける
- 文章の構成を学べる
- 文章の細かいテクニックを学べる
実際に書かれている章立てにはなっていませんが、具体的には「文章の本質」「文章の構成の考え方」「文章テクニック」が各章にふんだんに盛り込まれています。
なので、上記の3点について
上記について要約まとめをしていきますね。
文章の本質に気づける
・リズムの悪い文章とは、端的に言えば「読みにくい文章」のことである.
・それでは、どうすれば支離滅裂な文章を書かずにすむのだろうか?
まず大切なのは、自分の文章が論理破綻したことに、なるべく早く気づくことだ。 そして、 論理破綻に気づくためのキーワードは「接続詞」だと、ぼくは思っている.
・ぼくが主張しているのは「そこに接続詞が入るかチェックせよ」という意識化の話だ。頭のなかでチェックするのでもいいし、実際に書き入れてみてもいい。正しくつながることが確認できれば、削ってしまってかまわない.
・ぼくは「美しい文章」など、目指すべきではないと思っている.
・なぜ、美しさが不要なのか?
ひとつに、文章本来の目的が「伝えること」だからである.
・そしてもうひとつが、美という概念がどこまでも主観的であることだ。 どんな文章表現を美しいと思うかは、人それぞれによって異なる.
・一方、 正しさを意識することは、客観的な目線を意識することにつながる.
・理由はただひとつ、読者を動かすためだ。 自分が有益だと思った情報を伝えることで、他者の心を動かし、考えを動かし、ひいては行動まで動かす。 文章を書くことは、他者を動かさんとする〝力の行使〟なのである.
・文章は〝面倒くさい細部〟を描いてこそ、リアリティを獲得する。そして〝面倒くさい細部〟の描写によって得られたリアリティは、読者の理解を促し、文章の説得力を強化するのだ.
・アマチュアだろうとプロだろうと、メールだろうと小説だろうと、あらゆる文章の先にはそれを読む〝読者〟がいるのだ。 たとえば、一生誰にも見せない日記にだって、読者は存在している。 他でもない、〝自分〟という読者だ。 将来読み返すことがあるのなら、その日記には〝未来の自分〟という読者がいることになるし、たとえ読み返すことがなかったとしても、その日記は自分と対話するため、つまり〝いまの自分〟に向けて書かれているはずだ。 文章が文章であるかぎり、そこには必ず読者が存在するのである。
・結局、われわれが本当の意味でその「椅子」に座れる読者は、世の中に2人しかいないとぼくは思っている。次の2人だ。 ①10年前の自分 ②特定の〝あの人“
・大切なのはここからである。 なぜ、あなたは10年前の自分に向けて書くべきなのか? いま、この瞬間にも日本のどこかに「10年前のあなた」がいるからだ。 10年前のあなたと同じ問題を抱え、同じ景色を見て、同じようにもがき苦しんでいる人は、必ずいる。勉強、受験、友達関係、恋愛、いじめ、家族関係、就職、仕事の悩み、なんでもいい。 その悩みが深く、普遍的なものであるほど、「10年前のあなた」と同じ問題を抱える人の数はみるみると増えていく。時代や年齢など、置かれた状況に多少の違いはあったとしても、それは変わらない.
・そこで八方美人にならないために必要なのが、「たったひとりの〝あの人〟を思い浮かべて書く」という意識だ。 われわれは絶対に、何千人や何万人もの椅子に座ることはできない。だったらいっそ、特定の〝あの人〟の椅子に座るのだ,
文章で一番重要なのは「論理性」であることを”論理的”に説明してくれるから「20歳の自分に受けさせたい文章講義」は面白い。
ぼくも普段ブログ文章を書いていて思うのが、「読まれない」「伝わらない」文章は無駄であるということです。
本で書かれていた文章の本質部分をざっくりまとめると以下のような感じ。
- 文章には必ず”読者”がいる
- 読まれる文章を書くためにも読者の想定が大事である
- 一番手っ取り早い方法が”数年前の自分を想定すること”
- 数年前の自分と同じ悩みを抱えている人がどこかにいる
- 文章の目的は読者に「伝えること」
- 伝えるためには、美しい文章ではなく、論理的な文章を目指すべき
ぼくもブログを約2年間書き続けていますが、完全に同感です。
結局ブログ文章って誰かに読まれなければ意味がないですよね。
読まれないのであれば、メモアプリにでも書きなぐっておけばいいわけです。
だからこそ、「誰かが読んでいる」と想定して文章を書かないといけない。
美しい文章など目指さず、泥臭く数年前の自分を救う文章を書き続ける。これが文章の本質部分。
文章の構成を学べる
・しかし、そもそもビジネスや学術系の実務的な文章には「えっ?」「どういうこと?」という驚きの要素など必要ない。起承転結の〝転〟は、ストーリー仕立ての流れにおいてこそ、効果を発揮するのである.
・むしろビジネス文書などでは、読者を戸惑わせることなく、スムーズに読んでもらうことが重要になる。ここで起承転結にこだわるのは明らかに誤りだ.
・① の序論で語るのは、客観的な状況説明だ.
・続いて②の本論で語るのは、それに対する自分の意見であり、仮説である.
・そして③の結論では、再び客観的な視点に立って論をまとめていく.
・しかし、日常文だからこそ大切になる要素がある。それは導入部分の書き方だ。 これは第3講で詳しく論じるテーマになるが、ある文章を読むか読まないかの選択権は、読者にある。 最初の数行を読んでつまらないと思ったら、もう読んでもらえない。
・論の展開にもよるが、「序論2:本論6:結論2」あたりの割合が無難なところだと思われる.
・論理的な文章を書こうとするとき、図(絵コンテ)にして考えるとわかりやすい、という話は先にも紹介した。 だったら、今度は「自分の文章を図にすることはできるか?」と考えるのだ。 もしも論理的に書かれた文章であれば、その主張や論理展開をシンプルな図に描き起こすことができる.
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」では文章の構成も詳しく解説してくれています。
ブログを運営しているぼく個人的に刺さったのは以下の点。
- ビジネス文章・学術的文章には起承転結の「転」はいらない
- 日常文(ブログとか)で大切なのが「導入文」
- 文章を読む・読まないの選択権は読者にある
本当に導入文って大事なんですよね。
ブログには離脱率という考え方があるのですが、一般的には導入文→本文→結論と進むごとに読者の離脱率が上がっていくそうです。
つまり、一番最初の導入文でつまづいてしまうと、結論はおろか、本文すら読んでくれないということ。
文章の目的は「伝えること」なので、導入文でつまづいて読まれないという状態は絶対に避けないといけない。
改めて、肝に銘じておきたいですね。
文章の細かいテクニックを学べる
・ここまで触れてこなかったが、文章にリズムを持たせるには、もうひとつシンプルな方法がある。
断定だ。言い切ってしまうことだ。 これは逆から考えるとわかりやすい。なかなか態度を明確にせず、歯切れの悪い物言いに終始している文章は、どうやってもリズムが悪い。口のなかでモゴモゴ言っているのが聞こえてきそうである。
一方、断定の言葉にはそれ自体に勢いがあるし、切れ味がある.
・どんな正論であろうと、どんな暴論であろうと、強く断定してしまえば条件反射としての反発は当然出てくる。そして、もしも文章のなかに論理の破綻した箇所があったら、読者はその一点を総攻撃してくる。
だから断定を使った文章では、いつも以上に論理の正確性が求められる。 特に断定した箇所の前後2~3行には細心の注意を払おう.
・推敲とはなにか? もしそう聞かれたら、ぼくはひと言で「過去の自分との対話だ」と答える.
・そして、推敲するにあたって最大の禁句となるのが「もったいない」である.
・読者は、あなたの「がんばり」や「悩んだ量」を評価するのではない。あくまでも、文章の面白さ、読みやすさ、そして書かれた内容について評価を下すのである.
・つまり、書く自分、読み返す自分、もう一度読み返す自分、と3人の自分によって文章をチェックしていくのだ.
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」では具体的な文章テクニックも紹介してくれています。
たくさんありましたが、個人的に一般の人が仕事やブログで使えると思うのが「断定」の点ですね。
たしかに断定で書かない文章は歯切れが悪いです。
ただ、断定しすぎると論理性が求められる。だから難しい。
でも冷静に考えると以下の対応でいいんじゃないでしょうか。
- 自分の中で明確な論理性がある→断定で言い切る
- 自分の中で明確な論理性がない→そもそも書かない
自分の中で明確な論理性がないのであれば、断定で書いても曖昧に書いても読者を困らせるだけ。
だったら、そもそも書かないという選択がいいですよね。
なにはともあれ文章は論理性が最も大事。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の3文書評
いつも通り3文で書評をまとめていきます。以下の通り。
- 文章術の本はこの本さえ読んでいればいい
- タイトル通り20歳くらいの人が読むべき本
- この本における文章の心構え・テクニックはどの媒体の文章にも通じる
結論、文章術についてはこの本だけ読んでいればOKです。
というのも、文章術の本を読みすぎると、逆に文章書けなくなるんですよね。
「あれもこれも気にして文章書かないと・・・」という意識が働いてしまう。
でもこの本はテクニック論よりも本質的な話をしているので、文章が書けなくなるみたいな影響は小さいです。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」に書かれているエッセンスは一生もの。
書籍代の900円はすぐに元取れます。むしろお釣りがくるくらいです。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読むべき人
最後に、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」についてまとめていきます。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」を読むべき人
- 文章で悩むすべての若者(若ければ若いほどいい)
- ブログを書く初心者~熟練者
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」はほぼすべての人に刺さる内容になっています。
中でも「若者」「ブロガー」に刺さるという感じですね。
実際ぼくも「若者(24歳)」「ブロガー」ということで内容がグサグサ刺さりまくりました。
文章について書いている人の本なので、当然めちゃくちゃ読みやすい。するすると内容が入ってきます。
なので、「文章について学びたいけど、読書がちょっと苦手」という人にもオススメです。
それでは、また。
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